常滑の家
設計士さんのもとをたずねてはや2年。今、ようやく紙の上のプランが、かたち となってきています。家が出来上がっていくのを見るのは、ほんとうに楽しみなこと。それも着工まで の道のりが長ければながいほど、楽しみも一層です。 現在の住まいから、建築現場までは往復70キロ。車でおよそ2時間ほどの距 離。できれば毎日見たい。でもそこはサラリーマンの悲しさ、とても毎日現場に というわけにはいきません。ましてや貴重な週末、家は見たいし、やりたいこと は他にも山のように。しかし、時間は限られる・・・。

そうだ、どうせなら練習を兼ねて自転車で行こう。普段の練習の距離からすれば なんてことはない、これで一石二鳥。ということで毎週末、70キロの道のりを ロードレーサー(タイヤの細いドッロプハンドルの自転車です。)で行くこと に。ところが、いざはじめるとなるとこれが結構きついんです。日頃の成果もどこへ やら。あるときは、炎天下はあまりの暑さで頭ふらふら、目の前はボー。はたま た、あるときは強風にあおられ疲労倍増。あげく、完全な空腹(というかエネル ギーが切れハンガーノックと呼ぶのでしょうか。)状態、全身しびれてぼろぼろ に。最後はママチャリのおばさんにも追い越される始末。 こうした、数々の挫折にもかかわらず、ただひたすらペダルを廻して現場をめざ します。

現場に行っても相手は職人さん。全身汗だらけの「変な奴」を見て、特段手を休 めることもなく、黙々と作業を続けます。あいさつをして、じゃまにならないよ うに差し入れの飲み物を片隅に置き、家の中を見て歩く。 専門的なこと、技術的なことはなにもわかりません。ただ、頭の中には毎晩穴が あくほど見た図面のイメージが。これまで、設計士さんとは延々何十時間にも及ぶ打ち合わせ。いま、そのかたち が目の前にできつつあります。ありゃ、ここはこんなだったけ、とか、吹き抜け はイメージどおりとか、来るたびに悲喜こもごも(ちと大げさか?)。新たな発 見と、自分のとぼしい建築への想像力に辟易しつつ(ということは打ち合わせの 結果と異なる)、それでも、これまで素人なりに考えに考えた結果。住まいへの 思いがかたちになっていく。うーん満足。毎週進化する過程と、これまでの苦労が混然一体となり、ランニン グハイならぬバイシクルハイも加わって、得もいわれね快感。悩んだ甲斐があっ たというもんです。

一通り見て回ると、あまり長居をするのも職人さんに気が引けそそくさと退散。 いきはよいよい帰りは・・・。結局、週末はこんな調子ではや3ヶ月が過ぎまし た。一体全体なにが楽しくてこんなきついことを。このところ家族は完全にあきらめ 気味。こうした奇行を私なりに考えるのですが、おおよそ生き物で巣作りを他人任せる ものはありません。これはあたりまえで、自然界にそんな便利な機構は存在しま せん。自分のことは自分でやる。ところが、人だけはほとんどこの巣(家?)作 りを他人任せにしてしまっています。きっと数万年いや数千年前までは、人も自分で作っていたに違いありません。こ うした太古の記憶は「DNA」にしっかりと刻まれ、どこかで本能的な欲求がう ずまいているのかも?。そう考えると、自分の不可解な、馬鹿げた行動も非常に説明しやすくなります。

他人にまかせておくわけにはいかない、自分の巣は自分の手で。要は巣作りいや 家づくりにかかわっている、という実感がほしいのです。 ところが、現代の家づくり、「こまい編」も、藁を切った「壁土こね」もありま せん。そうです、素人が手を出せる部分はほとんどないのです。しかし、なにか やりたい。やらずにはいられない。
毎週末の不可解な行動は、極めてマスターベーション的(いや被虐的か?)な、 現代の家づくりへの私なりのかかわり方なのです。 けっして万人向きではありませんが、家造り、こんなかかわりかた(楽しみ方) があってもよいのではないでしょうか。人様から(家族からも)は、変人あつか いですが・・・。私のこの楽しみ、あと3ヶ月は続く予定です。